- 2011/10/15
- 文責: 松元祐太
- 記事No: 00016
東日本大震災訪問記 最終話【復興への足跡―今、そして未来へ、私たちに何ができるか―】
4月から追体験という形でお届けしてきた東日本大震災訪問記も、ついに最終章を迎えます。震災から時が経つにつれて、次第に刻まれるものもあれば、徐々に薄れてゆくものもあります。
今に至るまでのこと、そしてこれから先のこと。共に考えながら、読み進めていきましょう。
【5カ月ぶりの被災地へ】
震災から5カ月たちました。震災を期に、エネルギーシフトを始めとしていくつもの社会的なムーブメントが起きており、今でもテレビをつければ震災関連の話題が渦巻いています。それだけの影響をあの震災は与えました。
こうしたいまだ近からぬ震災復興への道のりですが、この度、私もその一助を担えればと思い、3月以来、5カ月ぶりに被災地に足を運びました。
今回行ったのは宮城県東松島市と石巻市、そして南三陸町です。
久しぶりの被災地でしたが、今回も数多くの衝撃と接することになりました。むしろ、5カ月置いたからこそ感じるインパクトも多々ありました。いずれもきっと3月に行った時には気がつかなかったことです。
【一つ目の気づき――片付いた被災地と震災の記憶】
一つ目に感じたことは片付きすぎているということ。あまりにも何もない状態に加え、がれきの中から下草も生え始め、あたかもその場がただの原っぱであるかのように見えてしまうのです。
もちろん、がれきを撤収することが必要な道のりの一つであることは間違いありません。それが数多くの人の手によって成し遂げられたことには、ただただ感嘆するばかりです。しかしここで何が起きたのか想像すらできない光景は、これから「記憶の風化」が始まるのではないか、そんな予感を感じさせました。
【二つ目の気づき――無からの再開】
二つ目はたくましさです。今回お世話になった方の一つである千葉海苔店は、南三陸の防災庁舎の裏手にあります。
何もかも津波で流されてしまい、何も残っていない状態のところに仮設の店舗が立っていました。千葉海苔店をはじめ南三陸では、何もかも流された中で営業を再開するコンビニエンスストアやガソリンスタンドを目にすることができました。
ここでは復興の兆しを肌で感じ取ることができます。日常が取り戻せていなくとも、それは形を変えて機能していればよい、そしてそれが力になる。これらの店舗の再開は非常に力強いものに映りました。
【三つ目の気づき――ボランティア観の変化】
最後に感じたことはニーズの変化です。
私は今回3カ所の被災地に行き、次のことをしてきました。
東松島:仮設住宅での寺子屋のサポート(小学生とキャッチボール、かたぐるま)、パラソル喫茶のサポート、被災者との酒席での交流
石巻:移動サービスの補助
南三陸:なつ地図祭り の運営
小学生とキャッチボールをすることの、どこがボランティアなんだろう?
上で述べた被災地の状況やボランティアの活動内容は、いずれもみなさんが想像する震災復興像やボランティア像とは異なるかもしれません。
このことにまつわるお話として一つ、東松島で印象深いことがありました。私がキャッチボールをした子は、私が来るまでは部屋の隅っこで津波のことを話しながら落ち込んでいました。その時の彼はつらそうで、私は聞いてはいけないことを聞いてしまったかのようでした。
落ち込んでいる彼を見ているとこちらも胸がつまります。
その時です。ふと部屋の隅に置いてあったグローブを見つけると、彼の表情は一変しました。
「キャッチボールやろうよ!」
彼は少年野球をやっているそうで、キャッチボールをやり始めると、彼の表情はどんどん緩んでいくばかりです。こちらがへとへとになるまで一緒にキャッチボールをしていました。偶然見つけたグローブが、彼の塞ぎ込んだ気持ちを解き放ったのです。
すると、帰り際、彼からおもむろに紙とペンを渡されました。
「手紙送るから住所おしえて!」
思春期のせいか、なかなか感情を前に出さない子でしたが、その時の彼の、照れながら笑顔を隠している表情は心に深く残っています。
一方で、そうしたボランティアのイメージがもう古くなってきていると感じさせる出来事もありました。それは神奈川からいらした方々の話を聞いた時です。南三陸の志津川高校で祭りの運営をしているときでした。おもむろに近づいてくる人の姿があり、なにやら事情を伺うと、
『力仕事のボランティアをしに南三陸に来ました。ですがボランティアセンターに行ったものの、今はがれき撤去などの力仕事のニーズはないとのことで、途方に暮れています。もしこちらで手伝えることがあれば何でもしますのでさせて下さい!』
とのことでした。私たちはむしろ人手が不足気味であったため、喜んで彼/彼女らの力をお借りして、祭り会場の受付をやってもらうことにしました。
これは一つの象徴的な事例です。つまり、なにもがれきを回収することや家の片づけをすることだけが震災支援ではないということです。確かに、まだ力仕事などが必要とされる場面は多々あります。神奈川からいらした方も、たまたま力仕事がなかっただけかもしれません。ですが、キャッチボールでも被災者の笑顔を取り戻すことはできます。
「被災者に笑顔になってもらうこと」
これもボランティアの目的の一つです。
ただし、それは冗談を言って笑わせて、気を紛らわせる程度の活動ではありません。津波のことを思い出しながらも、その事実と正面から向き合い、その上で自分なりに楽しみを見つけて笑顔になれること。一緒にキャッチボールをした彼は、キャッチボールの後、私に津波のことも話してくれました。キャッチボールが彼を笑顔にさせたように、日常の営みやつながりが、人を塞ぎ込んで押し黙る気持ちから解き放つのです。そして私たちにできることの一つとして、そうした塞ぎ込んでしまう被災者の方々のパートナーになることがあります。
また前話で書いたパラソル喫茶ではこのようなことも耳にしました。
これまではなにかと津波のことは思い出さないようにしてきた。だけどパラソル喫茶をきっかけにみんなと話す場ができて、そこで話をするうちに津波のことに向きあえるようになってきた。
もちろん、必ずしも被災者ではない私がパートナーになる必要はありません。周りには多くの思いを共有できる方々がいらっしゃいます。そうした方々の「横のつながり」を作るお手伝いをすることも、私にできる大事なボランティアだと思います。
【終わりに】
まだ先の見えない復興への道のりとはじめに書きました。テレビを見ていてもよく聞く言葉ですが、それは震災の傷の癒えない渦中にとどまっていることを意味しません。少なくとも着実に、がれきは撤去され、「横のつながり」もできています。それらがどこに向かうかはわかりません。ですがそうした一つひとつの活動が、かならずや復興への足跡となるでしょう。
幸せな人が、一人でも増えることを目指して。(完)
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