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より良い社会の実現という「夢」に向かって情熱を燃やしているヒーローたちは、思っていたよりも、ずっと身近なところで奮闘していらっしゃいました!!第一線で活躍中のNPO職員の方々が、一体どういった背景から活動を始め、日々何を感じ、どのような未来を創りだそうとしているのか。挑戦者たちの想いと素顔に迫るため、史織は今日も全国を駆け巡る!
(月2回更新)



NPO法人「犬と猫のためのライフボート」
代表理事 吉田淑子さん(前編)
 捨てられた犬や猫がどのような最期を迎えるのかはよく知られている。新たな飼い主と出会うことのできる幸せ者は一部に過ぎず、 大半は保健所などの行政機関に届けられて"行政処分"されてしまうのだ。しかし、驚くべきはその数字である。日本国内で1年間に殺処分される犬は10万頭以上、猫は20万頭以上。実に毎日900を超す小さな命が人間の都合によって殺(あや)められていることになる。
 NPO法人「犬と猫のためのライフボート」さんが発足したのは1998年8月。殺処分を待つだけだった犬猫を保護し、里親探しや終生飼育を行なう吉田さんたちの活動は10年を超え、5,000頭の幸せ者を生んできた。
吉田淑子さんのご紹介♪

 吉田さんは現在62歳の非常に活発的な女性で、週に1度はテニスを楽しんでいらっしゃいます。51歳の時に現在の「ライフボート」さんの前身となる団体をご夫婦で立ち上げられました。現在は代表理事の傍ら猫を管理する部のリーダーもなさっていて、毎日現場に出て犬や猫と接していらっしゃいます。
 インタビューにはワンちゃんネコちゃんも同席してくれ、たいへん楽しいものになりました。(しおり)




― そもそも、どのような経緯で「ライフボート」さんを始められたのですか?



 私と旦那の2人でライフワークとして、動物愛護団体を始めたかったんですよ。というのも、もともと敷地の大きな家に嫁いできたこともあり、常時犬を10頭以上飼っていました。おうちの中は出入り自由で、いつも一緒。それで、なにかお誕生日だとか、命日だとかがあると、その都度保健所から1頭ずつ貰い受けたり。老犬が亡くなると、補充したり2、3頭増やしてみたり。
 そうやって犬たちと共にずっと暮らしてきたので、まずは犬のための愛護団体を、と1998年に始めたんです。


― 1998年というと、まだNPO法 (※) さえできていなかった頃ですよね。 いきなり活動を始めるのもたいへんだったのではないですか?


 はい、高齢の夫婦が手探り状態で始めたんですから(笑)
全くの素人だったので、まずは主人がアメリカやヨーロッパを周って、海外の愛護団体の現状を勉強しに行きました。向こうでは、行政ではなく民間の組織が犬や猫を援助している。それも、非常にうまく。これなら私たちでもいけると思ったんです。
 でも、いざやってみると、息子たちやボランティアさんたちと頑張ってきて、年間400頭とか500頭とかを救うのがやっとでしたね。最初の頃はそんなにもいかなかったけれどね。



  (※)  特定非営利活動促進法のこと。阪神大震災をきっかけにボランティアの重要性が
      広く認識されたことをうけ、市民活動を促進する目的で制定された。98年12月から施行。




― ご苦労の連続だったんですか?

 先ほども申し上げた通り、最初は犬で始めようと思っておりました。いざセンターを始めようと思い、行政機関に行ってみると「何も分かっていないな」「素人はこれだから困る」というお返事をいただきました。行政は税金を使って犬猫の数を減らすことで成り立っています。それなのに、そこで貰い受けて、また子供が出来てしまったらなんのための活動か分からない。 あなたにあげた犬は、全部避妊手術して子供が生まれないようにできますかと。結構ギャフンと言わされましたね(笑)





― とは言え、400頭も救えるのは驚異的に思えます。


 でも、日本中には年間で33万頭もいるわけでしょ。まだまだ足りないんですよ。
 それでも、やっと近年になって年間1,000頭近くを行政から受け入れてもどうにか対応できるようになったので、NPO化しようと考えました。ちょうど活動10年目でしたしね、NPO法人となることで継続力と信用度を高められると思いました。 収益もなんとか事業を回すぐらいは出るようになったので、これなら大丈夫と。


― それもすべて「ギャフン」からなんですね?


 そうですね。最初役所に断られてから、全国の保健所や行政機関に手紙を出しました。
 全国の保健所や行政機関と言いましても全都道府県に1つしかない訳ではなく、本当にたくさん存在するんですね。県が管理しているのが1つと、市が管理しているのが1つといったように。そのなかで、たまたま1件だけ一緒にやりましょうというお返事をいただきまして、それが岐阜市でした。


― 全国にそんなにあって、たった1つですか?


 岐阜市1つでしたね。当初は犬をやりたかったのですけど、岐阜市の方々は犬に関しては非常に進んでいて子犬の処分はほとんどゼロに近かったんですね。「なら、子猫を一緒にどうですか?猫の処分数は一向に減らないんですが、やり手がいなくて困っているんですよ」とおっしゃって下さいました。
 たまたま私にも、小さい猫を9匹育てた経験があったので、主人と「大丈夫だよ。猫をやろう」となり、犬ではなく猫から始めることになったのです。
最近では、小さい生まれたての猫なんかを見つけると、岐阜県などは必ず助けてきますね。500gになると「ライフボート」が助けてくれるからと思ってやってくれている。そうやって岐阜県はどんどん処分を減らしていて、非常に素晴らしいですね。千葉も頑張っていますね。譲渡数は全国1位じゃないですかね。去年は犬猫あわせて
900件弱ですけど、ほとんどうちですね(笑)



― 猫の救助を始められた当初は、どのような状況だったのでしょうか?


 当時は引き取る限度数が決まっていなかったので、子猫たちを持って帰れるだけ持って帰ってきてたんですね。なかには、まだ眼が開かないような子猫たちもいて、その子たちに、毎日2時間に1回ミルクをチューブでやっていたんですよ。主人と私で交代しながら、時間を決めて1日中頑張っていました。
 もちろんそれに加えて他の子たちの世話もありましたから、毎日3時間でしたね、寝る時間。それを365日通して3年間ぐらい続けていたわけですから、今考えると異常ですね(笑)
 それで、やはり体調崩してしまったんですけど。現在の体制がなってきてからは、私のシフトは9~17時ですから天国です。でもそうやって、昔から試行錯誤をしていたから、実績がついたのかなと思います。



→ ( 後 編 ) に 続 く !!


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